東福寺神社とは
東福寺神社のなりたち
東福寺神社は、長野市篠ノ井に位置する神社であり、上組・中組・東区・上庭の四つの集落の産土神として崇められています。
明治時代には、内務省の訓令による村社合併の儀式が行われ、東福寺神社が現在の場所(東福寺七五八番地)に集まりました。この儀式では、上組の村社である南宮社、中組の村社である池田社、東区・上庭の村社である鹿島社、そして上組(北小森)の村社である猿田彦社が一堂に会しました。それぞれの神社は、多くのご神徳を持つ祭神を祀っています。
南宮社には金山彦命、池田社には建御名方命、鹿島社には武御雷、猿田彦社には猿田彦命が鎮座しています。これらの神々は、村人たちにとって非常に重要な存在であり、地域の安寧や豊穣、災厄からの保護を祈るために崇拝されてきました。
明治15年の「信濃川神社明細帳」という文献には、東福寺神社の存在が明記されています。この文献は長野県庁の行政文書であり、神社明細に関する貴重な情報を提供しています。この古い文献を通じて、東福寺神社が歴史の中でいかに重要な存在であったかが窺えます。
東福寺神社は、地域の人々にとっての守り神であり、伝統や信仰の象徴として大切にされてきました。その神聖な雰囲気と歴史的な価値は、多くの参拝者や研究者にとって魅力となっています。今もなお、東福寺神社は地域の人々によって愛され、祭りや行事が行われる場として栄え続けています。
東福寺神社の来歴
由緒書きを読み解く。
明治40年(1907年)の内務省訓令、祠堂合祀令にもとづき翌年4月、東福寺各組(地区)の氏子総代会を開いて協議し、南宮社、池田社、鹿島社、諏訪社の4社を中組地区の村社であった池田社境内に合併合祀して、東福寺神社と社号を改めることになった。
本来、
・南宮社は東福寺上組地区の村社で、祭神は健御名方(タテミナカタ/建建御名方とも表記)。これは諏訪大神とも呼ばれる。
・池田社は中組地区の村社で、祭神は同じく健御名方。
・鹿島社は下組(現東区)ならびに上庭地区の村社で、祭神は武甕槌神(タケミカヅチ)。
・諏訪社は、上組北小森集落にあって、祭神は健御名方。
神社の来歴を示す史料は以上のものしかないようだ。
南宮というのは、南長野運動公園の地下眠っていた古代遺跡で、埋蔵文化財の発掘調査で存在が確認された。8世紀から集落群の形成が始まって、10世紀には有力な豪族が、広壮な居館を造営して、近隣との農村的集落とは異なる様相の都市的(祭政を担う)集落を直接統治していたと見られるという。だが、11世紀までには忽然と消滅したという。
そこには、観音院東福寺という天台の大寺院があって、豪族の居館敷地内には神社の遺構もあった。東福寺と南宮という地名(呼称)はその流れを受け継ぐものであると見られる。
東福寺神社は、地域の人々にとっての守り神であり、伝統や信仰の象徴として大切にされてきました。その神聖な雰囲気と歴史的な価値は、多くの参拝者や研究者にとって魅力となっています。今もなお、東福寺神社は地域の人々によって愛され、祭りや行事が行われる場として栄え続けています。
スポーツを応援する4人の神様の集う神社
あちこちの神社を統合した結果、4人の神様が同居する神社となりました。
神々たちのご利益はスポーツスタジアムに隣接する神社としては最高です。
★建御名方命
信州の御諏訪系神社の神様です。
八百万神で、決意の力により勇気を与える神といわれます。
『軍神で、盛業繁栄を成就する神』
「荒ぶる魂」をもって挑戦、チャレンジしてみてください。
その強い決怠が人を成長させ、自信を与えてくれる神です。
★猿田彦命
みちびきのみちひらきのご利益で知られる神様です。
『みちひらきの神様』『道徳の神』
ルールやマナーの神としても知られています。
また、芸術にもみちびきをしてくれます。アーティスティックなスポーツにもご利益がある事でしょう。無駄のない動きは美しいものです。
★金山彦命
鉱業・金属業関係の神で、金運アップのご利益が高いことで有名。
オリンピックスタジアムの下に眠る南宮遺跡の出土品に銅鏡・刃剣・仏具・鉄製農具が出ています。
『道具の神様』
たいていのスポーツは道具も大事ですね。
道具に優しく大切にしているアスリートは成績もよいのは周知ですよね。
★武甕槌命
天下国獲りの大業をやり遂げたました。
『日本最強の神様』
茨城県の鹿島神宮が主神で、信州東福寺に分社されたもの。地震除けのご利益があり、スポーツ競技必勝成就、試験合格、旅行安全などのありがたいご利益をもっています。

